大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(あ)1367号 決定

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人佐野誠の弁護人柏木義憲、同佐藤利雄の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点をも含め、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であり、被告人岡部正道の弁護人秋山昭八、同刀根国郎の上告趣意は、憲法二二条、三一条、三七条違反をいう点をも含め、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、本件のように、競馬の騎手が、勝馬投票をしようとする者に対し、特定の競走に関して、自己が騎乗して出走する予定の競走馬の体調、勝敗の予想等の情報を提供し、その対価として利益の供与を受けたときは、社会通念上その競走の公正ないしこれに対する社会の信頼を害するものというべきであつて、競馬法三二条の二にいう「その競走に関して賄ろを収受し」た場合にあたるとした原判断は、正当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進 牧圭次)

弁護人柏木義憲、同佐藤利雄の上告趣意〈省略〉

弁護人秋山昭八、同刀根国郎の上告趣意

第一点 原判決は、憲法第三十一条に違背する。すなわち原判決は、競馬法三二条の二の解釈を誤り、被告人の所為が可罰的違反性を欠き構成要件に該当しないのに之を適用した誤りがあり、到底破棄を免れないものである。

すなわち原判決は、右法条にいう「その競走に関して賄ろを収受し」との点につき「自己の騎乗する競走馬の体調や勝敗の予想」つまり、「騎手の知り得た情報」を提供し、金銭授受があればそれで足りる如き、きわめて形式的な解釈に立つている。

しかし、競馬法三二条の二は、「特定の具体的競走の公正及びそれに対する社会の信頼」を保護法益とするものであつて、「単なる競走馬の体調や勝敗の予想」の程度で右法益を侵すものとは言えない。

同法の予定する違法類型は、八百長等不正競走がらみの情報提供がなされ、その対価として賄ろが収受された場合のみを予定しているのである。競馬に従事する者は、その職業倫理に従うべきことはいうまでもないがそれはあくまでも職業一般の倫理の枠内で処理されるべきもので刑事罰に至るには、違法性の程度について特段の検討を加えたうえ適用されなければならない。

競馬場の内規は、倫理を掲げるだけで具体的に反論の手続きを示しておらないばかりか、ひとたび刑事罰を受ければ騎手は、自動的にその資格を失つてしまう制度になつているのである。

つまり、同条の場合は、特に慎重に可罰性を判断しなければならないのである。

ちなみに原判決は、

例外的な場合として報道機関に対する情報提供を挙げ、この場合には「直ちには公正が害されるとはいえない」と述べるのであるが、これこそ即断にすぎ昭和四二年六月八日東京地方裁判所判例のいう「競走の結果を予測し、いわゆる勝馬を選ぶについての予想をしたり、あるいは、それに関する情報を提供し、その対価として金品を収受するというようなことは、そのためにひいては競走自体の公正ないしは、それに対する社会の信頼を害するようになることは全然あり得ないことではないとしても通常は競走は、それ自体は、そのこととは無関係に行われることであつて競走それ自体の公正ないしは、それに対する社会の信頼とは本来直接かかわりのないことであるから、単なる予想、情報の対価として金品が授受される場合が競馬法三二条の二における処罰の対象に含まれるとする見解には、たやすく賛同できない。」つまり「公正を害したか否か」を慎重に考慮し限定的に解釈適用しなければならないとするものであつて、この点原判決は右法条をいたづらに広く解したもので結局罰刑法立主義を規定した法定手続の保障規定に違反するものといわざるを得ない。

第二点 原判決は憲法第三七条及び憲法二十二条に違反し、破棄を免れない。

本件被告人の所為は、自己の騎乗する競走馬につき情報を提供し、賄ろを収受したというのであるが、その提供した情報それ自体の内容、及び収受された金員の趣旨、更には、右授受者の賄ろ性の認識の有無いずれの点においても原判決は、折角用意した在廷証人をも調べず憲法三七条が保障する充分な証人調べの権利を奪い、審理不尽の結果、重大な事実誤認をし、強いて被告人が選択した競馬関係の職業を一切奪う違法を侵したものである。すなわち、

(一) 一審判決は被告人岡部は、

「俺の馬は、四レースと一〇レースは調子が良いので何とか勝てそうだ。八レースは調子がよくないので駄目だ。四レースでは「オゴトショーリ」が良く、一〇レースでは「シーラップ」八レースでは三番の馬が強い」旨自己の騎乗予定馬の体調及び右各競走の勝敗に関する自己の予想に関する情報を提供したと認定したが、一審で明らかとなつた事実は、佐藤と親しく交際していた岡部が、佐藤から遊びのさそいの電話を受けた際、佐藤から「調子はどうお」と聞かれたのに対して「四と一〇は、具合がよく」「八はよくない」旨応えたとの事実にすぎない。

原判決も被告人岡部は、本件情報を提供する際には、自己の騎乗予定などの競走馬の勝敗を必らずしも断定的に表現したものではない部分が存することを認めながら「調子が良い」「駄目だ」などとの表現も当該競走馬がその競走で連勝複式の勝馬投票が的中する二着以内に入るか否かを意味するし、そのことを岡部、佐藤間で了解し合つていたと認定する。しかし右はあまりにも強引なつじつま合せである。競馬関係者の社会において調子はどうかと聞かれたのに対し「いい」とか「悪い」とか答えることは単純に一般的な挨拶程度の応答でしかないのである。競馬場に往来する人々、あるいは騎手と友人のように交際する人々からすればそうした挨拶は、むしろ礼儀の中と考えられていたものであり、一審における証人醍醐、同堀内の証言は、競馬場の関係者の現状を示すものである。

第一〇レースのシーラップ号について、一審判決は、佐藤の供述が具体的詳細であること等を理由にその調書を措信し得るとするのであるが、一方岡部は、一貫して記憶なしとしている。これは、本件取調べが予想紙等をもとにして行われていることから、佐藤がそのように思いこまされたことに端を発したものであり、また岡部の無口な性質から見ても佐藤の調書こそ、措信し難いのである。

(二) 一審判決は、現金二〇万円の授受につき、岡部は、「佐藤から右情報の提供の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金二〇万円の供与を受け、もつてその競走に関して賄ろを収受し」たと認定する。被告人らの各供述調書にはそのような供述も散見されるのであるが、公判廷においては被告人らは祝儀であるとして一貫して供述している。

(1) 一審判決並に原判決は、被告人の供述調書においては、他に同金員を授受する理由の存在を種々質問を受けながら終始一貫して本件情報提供の謝礼の趣旨である旨供述している。当時の同人らの心理状況まで詳細に供述しており不自然な点は何ら存しないこと、金員の授受が隠密裡に行われていることをあげその信用性を認めている。しかし右は、取調べの実態を理解しないが故の誤信である。先ず、金員授受の理由を種々質問したとするがこれは取調官の理解の枠内での答を求めるだけのもの、つまり「何かを与えなければ金を他人がくれるわけはない」との前提に立ち、これにあてはまらなければ認めない。そうした質問にすぎないので供述当時の被告人らの心理状況は、実際は「分つてもらえないので仕方がないから合せておこう」という底のものがある。たとえば一審公判廷でも検察官は、被告人にきわめて断定的に論争を挑んだのである。

また金銭授受が隠密裡であつたか否かは見解の問題にすぎない。

(2) 本件金員供与の趣旨を一審判決並に原判決は、情報提供の報酬、すなわち賄賂であるとするが、「祝儀」である。

イ 競馬場では一審判決も認める如く、祝儀として金員を交付したり供応したりすることが多く行われ、その動機も馬主という資力に富み、かつ、きゆう舎関係者には優越的地位にあるものとしての振舞いとして行われ、しかもその場合は、かなり公然と行われていたのである。

従つて被告人は、本件金員を祝儀として受け取るのに何らの疑いを抱かず、金額についても特別多額であるとの印象もなかつたものである。

また被告人は、佐藤がどの勝馬投票券を買つたかを知らず、佐藤から「勝つた」と聞いて、はじめて買つた事を知つたにすぎない。つまり被告人には、本件金員が情報に対する報酬であるとの認識は無かつたのである。

ロ 一審並に原判決は佐藤と被告人との関係を馬主と騎手との関係とは認められないとするが、すくなくとも、佐藤は馬主と同視し得る程度の立場として、競馬関係者から考えられていたものである。

ハ 金額は、佐藤の収益額からみて、祝儀として出したとしても、すこしも不思議ではないし、馬主らが一般的に出す祝儀の額に比して決して高額ではない。

(三) 然るに原審において弁護人は、次の三点を補充立証し一審判決の事実認定の誤りを正さんとし、在廷証人二名を用意し、各一〇分宛尋問の許可を求めたのであるが、容れられなかつた。

つまり(一)被告人と佐藤の交際の動機につき大井競馬場では重賞レースを再々獲得している被告人の父の経営する岡部きゆう舎に、自己の所有馬を預けたいという馬主あるいは馬主になろうとする者達の願望を佐藤も持つており、それ故、被告人には、特に親しみを見せ、祝儀の額も特別にしていたとの事実

(二) 佐藤と「岡部・佐野」との交際の仕方は各調書でも明白なとおり相当の違いがあり、また情報の程度・内容・伝達方法の違い更には、佐藤において情報収集のため佐野と交際していたものであるとの事実。

(三) 情報の重要性の反論として、佐藤正見も、また競馬関係者もさほど被告人からの情報を重視していなかつた事実。

即ち本件金員提供の趣旨は、佐藤正見が、勝馬投票が的中した結果、多数の賞金を取得したことからいわゆる祝儀として渡したものであつて、情報提供の謝礼の意味はないものである。すなわち、

(一) 佐藤正見と被告人との交際は、佐野誠とは異なりまつたく友人関係であつた。この点同人の昭稲五五年六月九日付検事調書には、「私が佐野、岡部と付き合つていた状況を考えてみますと岡部とはいわゆる気の合つた飲み友達で(中略)佐野の方は、いつも金に困つていたようで、競馬の情報を私に売つて金を儲けようとして私に近づき、私の方もそれを使つて馬券で儲けようと思つて付き合つていたというような間柄でした。」と記載されているとおり佐野に対する金員提供の趣旨は文字通り贈収賄の関係であるが、被告人に対する関係は、被告人の実父が経営する岡部きゆう舎に右佐藤が有する持馬を入れたい為の意をこめて提供したもので情報提供とは、なんらの関係もないのである。大井競馬場には、多数のきゆう舎が存在するが、岡部きゆう舎は、一、二に数えられる名門であつて馬主たるものは、自己の持馬を同きゆう舎に入れることを切望し、その為激しい競走があることは競馬関係者が一様によく知つているところである。

(二) 被告人がなした情報提供は、さしたる重要性はなく、佐藤は、自ら競馬新聞などから得た情報と半分半分の状態で買つていたむね、原審公判において供述しており、特段重要なものではなかつた。

然るに原審は、弁護人が控訴審で特に重要なものとして指摘した本件金員提供の趣旨に関する証拠調べを一切なさず漫然一審判決を上塗りした結果、重大な事実誤認をしたのは憲法三七条に違反するのみか、その結果被告人の職業選択の自由を全く奪う重大な結果を招来し、これを破棄しなければ著しく正義に反するものであるから刑訴法四一一条三号に照らしても破棄さるべきものである。

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